2005.08.25 右肩にオデキのようなものができていたのが気になってかかりつけの獣医さんで受診。
オーグメンチンというペニシリン系抗生物質が処方される。
午前11時ごろ服用させ、若葉は留守番させて外出して午後3時頃帰宅すると嘔吐していました。
嘔吐だけならそう心配はしませんが、元気と食欲が全くなく、夜にもう一度受診。
私は薬の副作用を疑いましたが、およそ副作用など起こらない薬だということで様子をみることに。
2005.08.27 少しずつ元気は出てきたけれど、相変わらず食べないので受診。
そこで血液検査をすると、BUN(血中尿素量:正常値10〜30)が127、
CRE(腎濾過量:正常値0.5〜2.0)が3.7という結果に唖然。腎不全です。
BUNが60で尿毒症だそうで、その2倍以上です。
体の毒素が尿に出ていきにくい状態なので、尿がたくさん出るようにしばらく毎日点滴をすることになりました。毒素を吸着させるためにクレメジンも服用。
2005.08.28 食欲が出だす。晩ゴハンは通常の量を完食。
2005.08.29 血液検査。BUNが47に落ち、CREは1.6の正常値内に。ほっとしました。
でも尿に蛋白がおりていましたが。
2005.09.01 BUNが37まで下がり、もう一息。クレメジンはもう服用しないことに。
2005.09.03 朝の散歩で右眼がかなり赤いのが気になりました。
でも元気はあったので久しぶりにしつけ教室に行き、帰りに獣医さんで診ていただくと、またしても仰天の診断。緑内障です。
眼圧が右眼が44(正常値は20以下)、左は忘れてしまったけどそう高くはなかったけれど診察の時にはかなり赤くなっていました。
専門の先生に連絡をして下さいましたが、土曜日の夕方で連絡がつかず。
結局月曜まで待たなければなりませんでした。
2005.09.05 朝、かかりつけの先生から紹介された眼の専門の先生と連絡が取れ、その先生が午後出向される病院までおっかけることに。
ショックなことに、左も発症しました。
若葉一歩も歩けず。
その夜は入院。
2005.09.06 職場で昼休み中に眼の先生から連絡が入り、眼圧が落ち着いたので退院OKとのこと。
数日後に私は退職することになっていましたが、この時はまだ引継ぎ期間中で見えない若葉を留守番させるのが怖かった。
前日朝両方見えなくなって、痛みと不安で私が少しでもそばを離れると今まで聞いた事ない声で鳴いた若葉をおいて出勤することを思うと私の目の前が真っ暗になりました。
しかし入院中、鎮静剤を打つことも考えるほど暴れ、鳴き叫んだそう。
そうだよね、うちに来てから初めて外へ、それもたった一人で、真っ暗な世界で放り出されたんだもの。
とにかく、迎えに行きました。
2005.09.07 家でどんな風になるだろう、と心配でしたが、暴れたり叫んだりということはなく、ずっと寝ていました。
見えなくなったことがショックなのか、体がしんどいのか。両方かな。
トイレに行ったりするのはぶつかりながらも自分でできていました。
仕事の引継ぎがうまく進んでいたこともあり、退職の日まで休んだり早退させてもらいました。
2005.09.12 この日で退職。
セカンドオピニオンをいただくため、別の眼科へ行きました。
すると、今までの先生とは全く逆の治療方法。
そして私としては意見を伺うだけのつもりだったのですが、治療が始まってしまいました。
こちらの先生の治療を否定するつもりはない、否定するだけの知識が私にはありません。
が、この時「ちょっと待った」が言えなかったのが、飼い主として最大の失敗だったと後悔しています。
友達からのその治療を疑問視する声に「これでいいのか」と何度も自問しながら、元の先生にすぐには後戻りできませんでした。
2005.09.19 ひょんなことがきっかけで、また別の眼科にサードオピニオンをいただきに行きました。
その先生は元の先生の治療法を支持されました。
緑内障の原因を何とするかで治療法が分かれたわけですが、そのどちらが正しいのかはわかりません。どちらが納得いくか、ということです。
若葉の眼の状態は、末期的、まず視力回復の見込みはないという判断で、その時まで続けていた、7種類もの点眼薬をさす意味がないと思いました。
元の先生に戻ることにしました。
2005.09.23 元の先生は「出戻ってきた」私たちを受け入れて下さいました。
やはりもう視力回復は望めないとこの先生も診断され、私たちはあきらめました。
義眼挿入の手術へ向かう方向で診ていただいています。
そもそものきっかけは、オーグメンチンという抗生物質であっただろう、と眼の先生はみられています。
しかしこの薬は上にも書いたように、まず副作用は心配しないと若葉の病気を診ていただいたどの先生もおっしゃいました。
若葉の体は化学物質に過剰に反応しやすいのかもしれません。
それをどこまで調べられるか今はわかりませんが、まだ始まったばかりの若葉の一生、元気でやっていけるように、できることをやろう、と思っています。


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